
モラハラ元旦那と調停離婚して数年、現在小学校4年生になった息子と2人暮らしの私。
シングルマザーとしての暮らしはもちろん大変だけどすごく幸せで、毎日頑張っています!
と、本当はいつでも元気でいたいのですが、そううまくいかないことも沢山あります。
今年は本当に悩んでばかり。息子が4年生になってからの私の精神状態は本当にジェットコースターみたい。
それはまた別の機会に語るとして、今回はそんなジェットコースター状態の我が家を更に揺るがした出来事についてお話します。
※私の主観と感情を多く含みます。汚い表現もありますので苦手な方はご注意ください。
目次
ある日突然児童相談所の訪問を受けた

7月某日。
平日の夜にインターホンが鳴りました。最初はセールスだと思って無視しちゃった
インターホンのモニターを見ると、男性と女性1名ずつの姿が。
夜の訪問者って宅配以外は基本的に無視することにしている我が家。
この日も宗教の勧誘とかセールスかと思って無視しました。
投函された封書を見て問い合わせ

突然の訪問者が去ったあと、ポストを確認したら封書が入っていました。
その封書に児童相談所のハンコが押してあり、そこで初めて自分が児童相談所の訪問を受けたのだと理解したのでした。
翌日、書いてあった電話番号に連絡を入れてみました。
訪問理由は教えてもらえないまま、訪問したい旨の話をされました。きっと、理由を話すと私が事実を取り繕うからと思ったんでしょうね。
訪問したいと言われ、予定を合わせた
別に私には児童相談所の訪問を断る理由はないので、そのまま日程を決めました。
でもそこで驚いたのはその日程。
電話したその日から大分先の日程を提示されました。
え?
突然来るくせに、次に来られる日はそんなに先なの?理由も知らされず待たされるこちらが不安になるって分からないの?
お役所仕事感をすごく感じました。
この段階で正直私は不信感でいっぱい。
児童相談所の訪問を受けるまでの間の私の気持ち

そうは言っても訪問も受けていないのに不満を言うのもな・・・
そんな気持ちでモヤモヤを抱えつつ、訪問を受けるまでの期間を過ごしました。
日々、ADHD児の我が子と二人三脚で進んできたことを思い返した
その間、私はこれまでの息子との日々、自分が抱えてきた悩みや苦しみを思い返していました。
もちろん息子との日々は幸せだったし息子の成長は大きな喜びです。
でも、ADHDを抱えている息子は本当に難しい部分も多くて、手を付けられなく怒り方をしている息子をどう扱っていいのか、悩みぬいた日々を思い返して正直しんどい日々。
決していい親ではないと自覚しているからこそ辛い

息子は他の人が育てたらもっといい子になれるのでは?
そんな風に悩み続けた10年間。
私がダメな親だから児童相談所の訪問を受けるのか。
そう思えてしまって辛かったです。必死に平静を保って過ごす日々

児童相談所の職員と訪問日を決めた電話の日と、実際の訪問日の間には息子がずっと楽しみに待っていた旅行がありました。
コロナ禍で出かけられない期間も長かったことや、シングルマザー家庭で元々そんなに贅沢な旅行はできなかったこともあって息子の喜びはひとしお!
私もどうにか息子を楽しませてやりたくて、旅のしおりを作ったり迷子になった万が一に備えて準備したりと大忙し。
そんな、我が家にとって3年ぶりの一大イベントに水を差した児童相談所。
もちろんそんなことは児童相談所からしたら知ったことではないのでしょう。
だけど、何も今じゃなくてもいいのに。
今は平和な気持ちで過ごさせてくれてもいいのに。
そんな、恨みにも似た気持ちになりました。
本当は旅行中も不安だった。暗い気持ちになりました。それでもどうにか自分を奮い立たせて、息子との旅行を笑顔で終えたのでした。
正直、とんでもないストレスでした。児童相談所の訪問を受けたことの感想

そんな気持ちでどうにか訪問日までを平常心で過ごすようにし、無事に児童相談所の職員の訪問を受け入れました。
職員は息子とも直接話したいと言っていて、息子にも正直に何でも話しなさいと言い聞かせました。
児童相談所の職員がうちに来た理由
訪問した児童相談所の職員が私に告げた訪問理由、それは「息子に、年齢に不釣り合いな労働をさせていると通報があったから」。
私が予想していた、息子の鳴き声が異様だとか、喚き声が尋常じゃないとか、そういう理由ではありませんでした。
言われた私は正直、「は?」としか言えませんでした。だって、息子は言われないと動かないし言われたって全然手伝いを積極的にはしてくれません。
悪く言えば一人っ子で甘ったれていて思いやりとか助け合いとか、そういうものを理解するのが難しいところがあるんです。
私はそれもADHDの特性の一つかなとも思っているんですが、性格としては優しい息子だけど、それが息子の労働に結びついてはいないんです。
いったいどこの誰が我が家を見て、「息子が年齢に不相応な労働を強いられている」と感じたのか、本当に検討もつきません。
だって、よそのお子さんと比べたって全然お手伝いしてくれていませんから。
私達親子の課題はお手伝い以前、自分の身の回りのことを自分でしよう、です。
例えばランドセルをゴミだらけにしないとかね。
その次元の息子が不相応な労働ですと?
正直何しに来たのか分からない
しかも、「年齢に不相応な労働」って、一度話を聞きに来たら分かるんですか?
ほんの小一時間話をして、リビングに息子が作った図画工作の作品が飾ってあるとか、息子の好きなものが置いてあるとか、そんなものを見ただけで分かるんでしょうか?
「心配されて通報した方がいたようですが、大丈夫みたいですね」だと?
何がどう大丈夫なんでしょうか?
私はこの10年ずっと悩んできました。
うわべの話を聞くだけ聞いて、あらぬ疑いをかけてきて、その上で一体全体何が大丈夫だというの?正直言って、児童相談所が何のために存在していて、福祉として我が家の息子に何をしてくれるのか、全く分かりません。
お役所仕事で来るなら迷惑!もう関わらないでほしい
児童相談所の職員がせっかく来たのだからと思って、私は息子の発達のこと、子育てのことについて相談してみました。
結果、何一つ建設的な助言はもらえませんでした。
「実家は頼れますか?」
「相談できるお友達はいますか?」
「周りを頼ってうまく力を抜いて・・・」云々。
いかにもなテンプレート的質問ばかりで何一つ私と息子のことを考えてくれた言葉はもらえませんでした。
正直、私はママ友と呼ぶような関係の友人はほぼいないし、周りの人に相談といっても発達障害のことってすごくデリケート。
中々相談する相手は身近にはいないのが正直なところ。
そんな私が頼りにしているのがSNSです。
それを言ったら私がどれだけ助けられているかなんて聞かないまま「え?SNSですか・・・?」と難色を示されました。
型にはめて解決するなら児童相談所なんて必要ないし、こんな人たちに問題があると判断されたら子供と引き離される可能性もあるわけでしょう?
全然納得できない。
事務的なことくらいちゃんとやって!不満爆発!!

先述の通り、我が家は児童相談所が来る前に我が家は3年ぶりの旅行をしていました。
旅行の最中に児童相談所から電話があったんですよね。
ただでさえ平常心を保とうと頑張っているっていうのに、わざわざ電話してくるなんて何事!?
そう思って電話に出てみると、あまりにもお粗末な連絡だったんです。
「訪問の日ってこの日であってますよね?良かった~。曜日を間違ってメモしてしまってて~ww」
ですよ。
何を親し気に確認して来てるのだろう。適当に仕事するなら迷惑なだけだから担当を変わってよ。
まるでどうにか旅行を楽しくやり切ろうと思って踏ん張る私を馬鹿にしているみたい。
そう思って心底腹が立ちました。
不愉快100%。
もちろん児童相談所の職員からしたら私なんて数ある問題ありな親の中の一人。
いちいち丁寧に対応なんてしていられないのでしょうか。
でも、私からしたらその時期は本当に大切な親子の時間のために一生懸命確保した時間なんです。
簡単に考えないでほしい。
「訪問する」ことが仕事?児童を守ることが仕事?全く伝わらない
児童相談所の職員の訪問を受けてから約1か月後、アフターケア(?)の連絡をもらいました。
「その後いかがですか?」
「改善はありましたか?」
いかがもクソもありません。
これまで10年間親子で試行錯誤して頑張ってきたんですよ?
それでうまくいかなくてもがいているんです。
たった1回、初対面の役所の(じゃないけど)人が来て話をして改善があるか?
あるわけないだろ、馬鹿!!
思わず私の声も対応も低く雑になってしまいました。
私達親子に必要なのは児童相談所じゃない
今回児童相談所の訪問を受けた率直な感想は、
「何の役にも立たない」
でした。
「百害あって一利なし」
と言い換えてもいいかも。
シングルマザーでADHD児を育てる家庭には支援が必要

たった1回、専門家でもなんでもなさそうな男女がうちに訪問してくれたからって、ADHD児を育てるシングルマザーの私には何の役にも立ちませんでした。
むしろ精神状態を無駄にかき回されてストレスを抱えただけ。もう来ないでほしいです。
それよりもちゃんと暮らしに密着して支援してくれる存在がシングルマザーのADHD児育児には必要だと感じます。
発達障害は見た目には伝わらなかったり、それでいて突然に人と違う一面が露呈したりして、予期せず孤独を感じることがあるのが特徴だと思うんです。
シングルマザー家庭は配偶者が家にいないわけだから、家の中で相談できる人がいないことが多いですよね。その分孤独になりやすい。
(まあ、モラハラ旦那なんていたところで余計に孤独ですけどね)
形ばかりの児童相談所なんていらない。
ちゃんと暮らしに即した支援が必要だって今回改めて感じました。
必要な支援は持続可能なものである必要がある
支援て一度で終わって何か役に立ちますか?
お金をくれるなら役に立ちます。 物資を支援してくれるなら役に立ちます。児童相談所の職員が1回家に喋りに来てくれる。
まったく役に立ちません。
本当に。
支援とは、受ける側にとって役に立つという実感があるものでなくては意味がありません。
まして、持続しないとなんの意味もありません。
児童相談所の人にはそれを実感してほしい。
できないならもう来ないでほしいです。
迷惑だから。
最後にもう一度。児童相談所に対する私の怒り

分かってます。
虐待にあっていたり、家庭で生き辛さを感じている子供たちにとっては児童相談所は生命線ですよね。
必要な存在だってことは理解してる。
自分自身の息子だって、必要があるならちゃんと児童相談所に保護されてほしい。
でもね、そのあり方には全く納得がいきません。
地域に根差しているわけでもなく、何の根拠もない通報にはホイホイと動く癖にまじめに相談している困っている人のことはテンプレート対応。
せめて自分たちの手に負えないのであれば、専門機関を紹介するくらいのことがあってもいいのではないでしょうか。
来るだけ来て、ストレスを与えるだけ与えて、「何か良くなりました?」って…。
ならないわ!
あほ~!
児童相談所って、名前を聞かされただけで親は結構なストレスだと思うんです。
児童相談所の方がこのブログを見ることなんてないかもしれない。
でも分かってほしい。それだけセンシティブな仕事をしているってこと。
だから、せめて事務手続きの不備とかそういういらないストレスまで与えないでほしい。
本当に子供たちのためになる仕事をしてほしい。
そう願うばかりです。
最後にもう一度。
私は本気で怒っていますからね。