毒親と別れて良かった!息子のADHDに対する毒親の行動

先日軽度のADHDと診断された息子。我が家のADHDとのお付き合いは始まったばかり。

今回は、息子にとっての祖母、つまり私にとっての母である毒親と決別しておいて良かったと思った出来事があったので、そのお話を。

我が家は元々離婚後、毒母のいる私の実家に住んでいた

私と息子はモラハラ夫から逃げるように実家に帰り、離婚に至るまでの1年間と、離婚成立後も元夫と共有名義で持っていた家の処分問題が片付くまでの1年間、合計約2年間を実家で過ごしました。

離婚に否定的だった父とは相反して私たちを受け入れてくれた母にはとても感謝しているし、その気持ちは今も変わりません。

毒母のマウントで私が音を上げた

私の母は毒親です

でも、私の母はいわゆる毒親。ゴリゴリの毒物です。

どんなところがかというと、外では大人しい女性を演じつつ、家の中で発揮される「私がこの家のことを全部決める」「私がこの家で一番偉い」というマウント。

誰にでもマウントを取りに来るわけではなく、仲のいい私の姉には実に優しく、どんなわがままも聞いてあげる優しい母です。昔から母の意向に沿った行動ができなかった私は、目の上のたんこぶだったのでしょうね。

繰り返しですが、そんな私のことを離婚時に受け入れてくれた母。感謝しています。

毒母の子育て論は理想そのもの

そんな毒母が私に求めた子育ては、まさに理想の母そのもの。

「子供の行動や表情をしっかり見つめなさい。そうすればどうしてやればいいのか見えてくる。」

「子供が思うように動いてくれないのは当たり前。子供の気持ちが分からないのは、お前が関わる時間が足りないからだ。もっと子供のことを考えろ。」

そうなんだよ。分かってるよ。自分ができた親ではないことも、子供との時間が少ないことも。でも、生きていくために一生懸命働いて、休みは全部息子に費やして、頑張ってるつもりなんだよ。これ以上いったいどうしたらいいの・・・?

そんな風に、どんどん私は気持ち的に追い詰められていきました。毎日胃が痛くて、母の顔を見るのが苦痛な日々。

助けを求めても、「言ったってどうせ聞きやしないだろう」と突き放され、また否定されることの繰り返しに、私はとうとう音を上げてしまったんです。

絶縁を言い渡されるもスルーして独立

絶縁を承知で引っ越しを決めました

「もう駄目だ。これ以上ここにいると、私は息子を愛せなくなる。」

心からそう思いました。息子は、毒母が私を否定する言葉を、そのまま覚えて私に言うようになっていたからです。どんどんと毒母に似ていく息子。息子と二人で親子の団欒を楽しもうとしても、なんだかんだと理由をつけて間に入ってくる毒母。私はすっかり疲れてしまいました。そこで、離婚のときも逃げたように、実家からも逃げることにしたんです。本当にこのころの私は逃げてばっかり。

私が引っ越すことを息子から聞きつけた毒母は、当然阻止しようとしてきました。言葉で私を責める。息子に「行きたくない」と言わせる。私の友人に電話をかけて、「精神を病んでいる娘(私)が勝手に引っ越しをしようとしている。止めてくれ。」と相手の制止も聞かずにまくし立てたり。物件を見に行こうとする私の車に無理やり乗りこんできたこともありました。

そんな中、毒母が私に行ったんです。

絶縁を言い渡されて、引っ越し

「引っ越しをするなら二度と帰ってくるな。孫はいい。でもお前は二度と戻ってくるな。絶縁だと思え。」

そう言われて思ったんです。話し合って理解し合うことだけが解決方法じゃない。縁を切るということも私にとっては一つの解決方法なのだと。

私は「分かった」と一言だけ告げて、その後すぐに実家を出たのでした。

毒母は息子のADHDを認めなかった

そんな風に、絶縁を前提に実家を出た私達親子。でも結局は息子はたまに一人で祖父母宅にお泊りに行きます。私としても、離婚してただでさえ親戚と呼べる人が少ない息子から、これ以上親しい人を奪いたくないという気持ちもありましたし、ぶっちゃけて言うと、息子が祖父母宅にお泊りに行っている間は私にとって休憩時間でもある。だから息子が「そろそろおじいちゃんちにお泊りに行きたいな」と言えば、止めることはしませんでした。

そうして、私自身は実家に関わることはしないけれど、完全に絶縁したわけでもなく、つかず離れずの関係が続いていたんです。

そんな毒母が、息子のADHDのことを知って、にわかに騒ぎ始めたのが先月。

毒母は、息子のADHDについて、「どうして勝手に病院に行ったりするのか。そんなことをして、これから先どうするつもりなのか。」と、私のことを責めていたようです。私は直接毒母と話すようなことはしませんから、これはあくまでも息子と毒母との電話でのやり取りから聞こえてきた話や、息子から伝え聞いた毒母の言葉ですが、毒母はADHDについて、一度診断されてしまったら、一生普通の人生は歩めない物として認識しているようでした。

そのためか、毒母はしきりに息子に「あなたは発達障害じゃないのよ。ちょっと頑固なところがあるけど、病気じゃないの。」と言って聞かせました。病院で診断を受けているのに、一般人の毒母がそれを否定するのって、何なんでしょうね。

どうして毒母に息子のADHDのことが伝わったのか

そもそもどうして毒母に息子のADHDの件が伝わってしまったのか?それは、私が息子を口止めしていなかったから。

私は息子に、ADHDであることは珍しいことではない。不幸なことでもない。ちょっとクセが強くて、そのために息子自身が嫌な目にあうことがある。それを減らすために自分のクセを知って、嫌なことが起こらないようにしていこうね。そう言い聞かせています。ADHDのことを毒母に言ってはダメ!なんて言ってしまったら、まるでADHDを私が否定しているみたいになってしまう。だから、あえて息子には何も言っていません。

息子はおしゃべりが好きですし、当然病院で診察を受けたこともすぐに話してしまいました。電話を横で聴いていた私は、内心頭を抱えましたが仕方がありません。

毒親と決別して良かった!そう思った出来事とは?

そうしていとも簡単に毒母に知れることとなった息子のADHD。早速と言っては何ですが、毒親と距離を置いておいて良かったと感じたことがありました。

ある日息子が毒母と喧嘩してきた様子

そう思ったのは、いつものように息子が祖父母宅にお泊りに行ってきたその帰り。基本的にお泊りのときは実家から送迎が出ますので、私は凪のように動きません。その日も自宅で息子の帰りを待っていました。

すると、帰ってきた息子の様子はいつも通りだけれど、送ってきた毒母の様子が明らかにおかしい。怒っている。あ、私にではありませんよ。私のことは見ることもしませんし、私も同様ですので。

明らかに息子に対しての態度が怒っているんです。我が家の玄関先まで送ってきて、投げつけるように息子に「じゃあね、さようなら!」と言って帰っていきました。いつもなら「バイバイ」と言って帰るので、これはおかしいなと思いました。

息子はもうおばあちゃんの家には行かないと言う。私の対応は?

おかしいなと思った私は、息子に何かあったのか聞いてみました。すると息子も、「もうおばあちゃんの家には行かないよ。僕は悪くないのに、おばあちゃんが怒るから。」と言うんです。

私は、自分の休憩がなくなるなとは思いましたが、別に息子を実家に送りこみたいわけではありませんから、もう行かないならそれでもいいよと、そんなに深く突っ込まず、そっとしておいたんです。

1か月余り放置していたら、毒母から息子に電話がかかってきた

ある日毒母から息子に入った1本の電話

それから1か月程度過ぎたころ、普段だったらそろそろまた息子が祖父母宅に連絡を入れたがるころですが、今回はそれがない。やっぱり息子なりに「もう行かない」と言ったのは本当だったみたいです。

そんな折、毒母の方から電話がかかってきました。

毒母が息子に展開した話は、毒母自信が否定してきた子育てそのもの

息子の横で電話の内容を聞いていた私は自分の耳を疑いました。

毒母が息子に話したことは、毒母の理想の子育て論からかけ離れていたからです。

毒母は、実に10分以上、電話口で一人で話し続けました。内容は、息子が苦手とする忘れっぽさや集中力の無さ、多動性や衝動性を我慢しなさい。というもの。息子は運動が苦手で、背筋を伸ばして座り続けることが難しく、また筆圧も気を付けないと弱くなりがち。それを「ちゃんとやりなさい」とばかり言い続ける毒母の身勝手さ、息子に対する思いやりの無さに心底がっかりしました。

頑張ってもそれが長続きしないから、それで本人が苦労しているから病院で相談したのであって、毒母が電話で押し付けのように話せば息子が良くできるようになるならこんな苦労はしていない!

あほ~~~!!

息子は聞くのが嫌だったのかスマホを手放し、返事もしなくなりましたが毒母はコンコンと話し続けました。

怒りは感じる。でも、私達親子には物理的な距離がある

毒母は私にあれだけ理想を押し付けて、それができないと私を責めましたが、そもそもは毒母自身が全く子供を見るタイプの人ではありませんでした。理想を押し付けて、それに合わない言動をすることをひどく嫌っていました。今もそれが健在であることを嫌と言うほど思い知らせてくれました。

正直なことを言えば、息子に対してそのような振る舞いをした毒母に対して怒りは感じています。でも、もはや私は毒母に対して期待する気持ちを持ち合わせていないんです。何かしてほしいとは思わない。そっとしておいてさえくれればそれでいい。

幸い私たちの間には、ある程度の物理的な距離があります。一つ屋根の下に住んでいたあのころとは違う。毒母が何をしようと、息子を守るのは私。私は私の思う方法で息子と向き合っていきたいし、私たちはそうやって一つずつ道を切り開いてきたんです。たまに毒母が雑音を立てても、それはこれからも変わらない。

毒母と離れて良かった。お互いのために改めてそう思う

物理的な距離があることで私はすごく安心できた

そう。実家から出て、物理的な距離を取った今だからそう思えるんですよね。本当に実家を出て良かった。

あの頃、離婚する私を受け入れてくれた母。私の幼少期から毒母の片りんは見せていたけれど、それでも私にとってはたった一人の母。母に認めてもらいたかったし、褒めてもらいたかった。でも、私は母にとって、近くにいると無条件にイライラさせてしまう引き金だったのだと思います。誰もでも、生理的に合わない人というのがいますもんね。母にとっては私がそうだったのでしょう。

だから、距離を取っている今は、お互いのためにとって最善なんだと思います。

息子のADHDで久しぶりに垣間見えてしまった毒母の特性。しばらくは毒母はそのことで頭がいっぱいになってしまって、息子に押し付けがましいことを沢山言うでしょう。それで息子が「もうおばあちゃんには会いたくない」と言うならそれは仕方ない。

息子のことをしっかり見守って、しっかり守っていこう。改めてそう決意しました。

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